こんにちは。医療用医薬品担当の松田です。梅雨らしいジメジメした天気が続きます。最寄り駅から会社まで歩くだけで、否応なく湿気という服を重ね着させられます。そんな暑い中、前回の記事の二宮金次郎に関するちょっと怖い話で、一瞬皆様の肝っ玉が冷えたのではないでしょうか。これから、こういった類のテレビや本が流行る季節になるのでしょうね。
さて、梅雨明けと同時に夏の全国高校野球選手権大会の地方予選が始まります。昨秋から発足した新チームでの最後の夏。球児たちにとっても、彼らを応援してくれる吹奏楽団やチアリーディング部、応援団、友人や家族にとっても大舞台が幕を開けるわけです。負けても勝ってもそこには必ずドラマが存在し、人々を沸かせます。夏の高校野球と言えば…
1985年、PL学園のKKコンビが活躍。「甲子園はキヨハラのためにあるのか~」と実況に言わしめた彼の甲子園通算本塁打記録は、未だ抜かれていません。私が生まれる一年前の話ですが…。
そして、1992年、星稜対明徳義塾戦での松井秀喜5打席連続敬遠。この件について賛否両論ある中、私は明徳義塾の馬渕監督が、近年雑誌のインタビューで語った言葉が心に残りました。「私は今でも間違った作戦だったとは思っていない。あの年の星稜は、高校球児の中に1人だけプロがいるようなものだった。あれ以前も、あれ以降も、松井ほどの大打者と僕は出会っていません」
1998年には、松坂大輔選手擁する横浜高校とPL学園の延長17回まで続いた準々決勝での激闘。この大会以降、延長戦は15回までという規定になりました。その試合で250球を投げた松坂選手は、決勝戦でノーヒットノーランを達成し、平成の怪物と呼ばれるようになりました。松坂選手の活躍もあり、彼と同世代の人は今でも「松坂世代」と呼ばれて、様々な分野で活躍しています。
2006年、これまた激闘で、駒大苫小牧と早稲田実業による引き分け再試合にわたる決勝戦。ハンカチ王子の愛称を持つ斎藤佑樹選手とマー君こと田中将大選手による白熱した投手戦でした。再試合での最後のバッターが田中選手という偶然は、運命の巡り会わせだったのかもしれませんね。大学時代のバイト先にいた後輩が、とある県代表でこの大会に出場しており、この2人と開会式であったとのこと。当時から2人は、只ならぬオーラを放っていたようです。
2009年の決勝戦では、中京大中京が新潟県勢で初優勝を狙う日本文理を10-9で下しました。しかしこの試合のすごさは、6点差を追う日本文理が9回ツーアウトから猛攻を見せ、5点を取って追いつきかけたところにあります。去り際の両チームが印象的で、勝った中京大中京の堂林投手(現広島カープ)はインタビューで敗戦投手のように泣き、負けた日本文理の選手が笑顔と対照的でした。
名場面はこれだけではありません。あくまで私の印象に残った場面(上記2件に関してはリアルタイムで見ていませんが…)なので、もっと他にもたくさんありますし、時間の許す限り書いてもいいと言われたら、このブログでは到底書ききれません。球児一人一人に見せ場があるのですから…。今年も地方球場、できたら甲子園に行き、球児たちが作り上げる台本のない熱いドラマを見て、「一つのことに全力をかける良さ」を感じ取りたいなと思います。
7月18日に私たちが3か月、全力をかけて取り組んだ資料「2017年 ジェネリック医薬品の市場分析調査」を発刊します。高校野球の感動には程遠いかもしれませんが、ご興味のある方は是非ともご試読ください。
沖縄や鹿児島、北海道では予選が始まりました。甲子園という夢に向かって頑張る球児たち。一つのことに熱中する経験は、野球選手になっても、社会人になっても、貴重な経験だと思います。常に目標を持って、夢に向かって走り出さんとする姿勢は、今の私のような年齢になっても大切なことです。人生は一度きり、誰しもに与えられた平等な時間をいかに充実して過ごすか。その時間の中には、嬉しいことや楽しいことだけでなく、辛いことや悲しいことが存在しますが、何か楽しいことや目標を持って、それに対して全力で取り組めば、人生を振り返った時に「やってよかった」と感じるはずです。
白球を追う高校球児の背中に自分を映し、私自身も今後の人生に「夢」を持ってしっかり生きていこうと思います。皆様方におかれましても、日々充実した時間が流れるよう、皆々様の益々のご健勝を心よりお祈りいたしております。